東山紀之さんは端正なお顔立ちと年齢を感じさせないスラっとしたスタイルで、王子様感が漂っていますよね。
さぞかし裕福な家で育ち幼いころからダンスレッスンや歌のお稽古などに通っていたのだろうなと思いきや、なんと幼少期は極貧生活をされていたそうなんです!
しかも調べてみるとかなり壮絶な生活をされていて驚きでした。
今回はそんな東山紀之さんの生い立ちについてまとめてみました。
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東山紀之さんといえば、女優の森光子さんと養子や恋人という不思議な関係が噂になっていましたよね。
森光子さん以外の歴代の彼女も気になります…!東山紀之さんの恋愛事情についてはこちらにまとめているので、良ければ合わせて読んでみてくださいね。
東山紀之の生い立ちが想像以上に壮絶だった!
東山紀之さんは2023年現在56歳ですが、年齢を感じさせない端正なお顔立ちとスラっと伸びた手足がまるで王子様のようですよね。
少年隊が一世風靡していた頃はもちろんそんな東山紀之さんにメロメロになるファンが続出したわけですが、実はそんな東山紀之さんの姿からは想像もできない生い立ちがあるようです。
1歳の頃の記憶が畳に突き刺さった包丁
2021年1月6日に放送された「1周回って知らない話&今夜くらべてみました」で、1歳の頃に見た「母が知らない男たちに向かって土下座していて、その傍らには畳に突き刺さった包丁がある光景」が忘れられないと話していました。
母が自宅玄関で男たちに土下座をして、そのかたわらの畳には包丁が刺さっている場面が、東山が1歳頃に見た光景だといい、今でもその光景が脳裏に焼きついて離れないという。
引用元:週刊大衆|東山紀之「借金取りに風呂はプール」平野紫耀、タッキー…壮絶幼少期J
ト、トラウマ級ですよね…!?
人の記憶は2歳半頃から形成されると言われているので、1歳の東山紀之さんが見たこの光景がとてもショッキングなものだったことは間違いないです。
川崎のコリアンタウンでおすそ分けで食いつなぐ
東山紀之さんが3歳の頃に両親が離婚し、東山紀之さんは母親と妹と共に川崎のコリアンタウンに引っ越します。
川崎では在日朝鮮人の方の家の離れのような場所で暮らしていたそうです。
コリアンタウンに住んでいた頃は、近所の在日韓国朝鮮人の方たちにとても良くしてもらったそうで焼肉屋さんで豚足をもらったりするなど、おすそ分けしてもらったものを食べて食いつないでいたそうです。
当時は在日韓国朝鮮人への差別も激しかった時代でしたが
東山紀之さんは、母が一切差別的な発言をしなかったため
ご自身も偏見を持つことなく、当時お世話になった方にはとても感謝しているそうです。
川崎の市営住宅に引っ越すも続く極貧生活
その後東山紀之さんが小学2年生になると、一家は川崎にある市営住宅に引っ越しされます。
この市営住宅は2019年に放送されたドラマ「砂の器」のロケ地にもよく似ていると東山紀之さんは語っています。
(自宅アパートが)雰囲気のあるロケ地で、方向性が見えた気がした。このマンションの外観を見て、今西という役の人となりが何となく自分の中で整った感じがした。というのも、実際に僕が育った市営住宅にとてもよく似ていて、共感する部分が蘇ってきました
引用元:サンスポ|東山紀之「育った市営住宅に似ている」 砂の器クランクイン
市営住宅に引っ越した後も貧乏な生活は続いていたそうで、もちろん遊ぶお金なんてなかったそうです。
しかしどうしてもゲームセンターで遊びたかった東山紀之さんは、銭湯代としてもらったお金をゲームに使い、お風呂は学校のプールに忍び込んで済ませていたそうです。
善悪はさておき、
貧しさの中でもご自身で工夫して遊ぶお金を捻出されていたんですね
母の再婚相手によるDV
東山紀之さんが小学4年生の頃、母親は4歳年下のトラック運転手と再婚しました。
最初こそは優しかったそうですが、だんだんと酒に酔って暴れるようになり東山紀之さんにも手を上げるようになったそうです。
母親の再婚相手に暴力を振るわれるなんて壮絶な過去があったとはまるで想像もつかなかったですよね。
なお、東山紀之さんがご自身が暴力を振るわれたという経験があるからこそ自分が子供に手を上げるということは決してしないそうです。
今年で11歳と9歳の娘がいますが、僕は殴られる恐怖を知っているので、絶対に手を上げない。ちょっと声を上げて「コラッ」というだけでも罪悪感があります。
僕はくすぐるんですよ。こちょこちょと。誰も傷つかないし、「分かった、分かった、もうやらない」となって幸せに終わるんです。殴るよりも効果がありますよ。
引用元:毎日新聞|東山紀之さん「僕はヤングケアラーだった」 重圧、貧困語る
壮絶な生い立ちがあった東山紀之さんだからこそ、負の連鎖を起こしてしまわないよう、いかに子供に愛情を以て接するべきなのかものすごく考えられて行動されているようです。
東山紀之の両親はどんな人?
かなり壮絶な幼少期を過ごしていた東山紀之さんですが、ご両親はいったいどんな方だったのでしょうか。
東山紀之の父親はロシア人クオーター
東山紀之さんは3歳の頃に両親が離婚しているため、父親の顔を覚えておらず、名前も知らないそうです。
3歳の頃の父親の姿は記憶になく、
1歳の頃の母が土下座している光景が脳裏に焼き付いているなんて
まさに壮絶な過去を表していますね。。
父親はロシア人のクオーターで、酒癖がかなり悪く、また借金も大量にあったそうです。
そのため、東山紀之さんが1歳の頃に見たと思われる「母親が土下座している傍らには畳に突き刺さった包丁がある」光景は母が借金取りに向かって謝っている光景だと思われます。
そんな借金まみれで酒癖も悪い父親(夫)のことは思い出したくもないでしょうから、お母さんは息子である東山紀之さんに名前を改めて教えることもしなければ、写真を残すようなこともしなかったのでしょう。
東山紀之の母親はしつけに厳しい苦労人
東山紀之さんのお母さんは、父の借金を返済のみならず離婚後も女手一つで子供二人を育て上げるため、美容師として朝から晩まで働きっぱなしで大変苦労されたそうです。
しかし、子供のしつけに関しては厳しく、特に食事の作法には厳しかったそうです。
おお!さすがお母様に厳しくしつけられただけの美しい姿!!と思いきや
若い頃の東山紀之さん(写真右)はテーブルに肘をついちゃって、これお母様が見たら怒られるのでは…?(^_^;)
また、東山紀之さんは遊ぶお金を捻出するため銭湯代をゲームセンター代に充ててていたことをご紹介しましたが、10歳の頃はおもちゃ欲しさに母親の財布からお金を抜き出したことがバレてしまったそうです。
その際には激怒するのではなく「あんたは知能犯だ。このままだと将来ダメになる」と冷静に諭されたそうで、東山紀之さん自身もこのままではだめだと改心するきっかけになったそうですよ。
なんだか東山紀之さん自身が子供を叱る時には
殴らずに子供をくすぐっているという話と通じる感じですね!
まとめ
東山紀之さんは今の姿からは想像もできないほど、幼い頃は貧しく壮絶な生い立ちを過ごされていたことがわかりました。
そんな極貧生活の中でも母親からはしっかりと愛情を受けて、負の連鎖を生み出さない今の東山紀之さんに成長されたのだと思います。
東山紀之さんは12歳の頃、たまたま信号待ちをしていた渋谷のスクランブル交差点で通りかかったジャニー喜多川氏に声をかけられ、ジャニーズ事務所に入所されています。
この運命のような出会いが、東山紀之さんが極貧生活から抜け出し、アイドルという自分の居場所を見つけるきっかけになったんですね!
ジャニーズ事務所はそのジャニー喜多川氏の行いにより会社の存続も危ぶまれるほど危機的状況にありますが、東山紀之さんが社長となり、事務所の立て直しに人生をかけて取り組むそうです。
いったいこの先どうなるのでしょうか…?
最後までお読みいただき、ありがとうございました!